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みやもっちゃんのひとりごと

【みやもっちゃんのひとりごと No.131】

2020-03-03
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
これって運命?
昨年池袋で起きた高齢者(88歳男性)による車両暴走事故は誰もが記憶に新しい所だろう。
幸せに暮らしていた家族、何一つ落ち度のない母と子がまきこまれ亡くなってしまった。
その時から一人残された33才の遺族の男性はどうやって生き、どうやって平常を取り戻すのだろうと気になっていたが、この事故以来、高齢者ドライバーのあり方が大きく変わる転換点になったのは間違いない。
 
悲惨な事故だけど、この時この場所にさえいなければ遭遇しなかったはずなのに
しかしながら残念にも遭遇してしまったのは「運が悪かった?」「運命だった?」のだろうか。
 
運命論とは、一切の出来事は人間の意志にかかわりなく運命によって決定するものだ、人間の力ではそれを変えられないと見る。
古代アジアの占星術や中国の亀甲占いなども、神や天の意志を知ろうとする運命論が基底にあると考えられ、ギリシャの歴史観も、仏教の因果応報思想も、中国の天命思想も、キリスト教の神の規定も一種の運命論とみるらしいが、”運命”の一言で片づけるには悲しすぎる現実だ。
 
何故こんな事をつぶやいているのか。この2月25日、3月の同窓会で会う約束をしていた友人が80才代の高齢者が運転する車に横断歩道ではねられて亡くなってしまった。早朝より友人の連絡で知る所となったが、池袋のそれと重なった。
あまりにも突然なる彼女の人生の幕引き。これって…
 
75才以上の免許保有者は約564万人。令和4年になると団塊の世代が75才の後期高齢者入りし717万人まで急増する。
長崎などは土地柄交通網が発達してるワケもなく、マイカー中心の街。
つまり車が「生活の足」となっている代表の街。
どこの県よりも若者の人口流出は大きく、核家族化も進み、頼れる家族も近くにいない。
なので高齢者自身で動かないと生活が行かない厳しい現実なのも百も承知。
しかしながら、身近に起きてしまった高齢者による友人の交通事故死。
日々運転する身として 明日は我が身!
世間は、社会は、70才までいや75才まで頑張れと言うが、仕事のやり方、暮らし方、そして晩年の生き方までも考えてはどう?と投げかけてくれたのだと、彼女の死を受け止めるしかないのが悲しい。
(2月号、3月号と友人の死の事が続きましたが、お許し下さい。)
 
 命を運んでいる車です 安全と共に 株式会社トータル 
(宮本佐代子)
 
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