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みやもっちゃんのひとりごと

【みやもっちゃんのひとりごと No.136】

2020-08-03
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
心の関所
 4月7日あ()(失礼!)総理が“国民皆様の行動を変える事が大切。人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後にはピークアウトさせる事ができます。
ゴールデンウイーク終了まで外出自粛を!国民の命と健康を守る事を第一に都道府県とも緊密に連携しながら感染防止に向け取組を進めてまいります”と緊急事態宣言発令。
そして延びに延びて5月25日解除。
 
 その頃だったと思うが、新聞の天声人語の欄に県境、つまり県を越えるのがまるで江戸の頃の関所のようだみたいな記述があった。
時代劇でよく目にする関所。中学の頃だが習ったぞ~と思い調べ直してみたら、なんと面白い。
 日本の歴史において(歴史通の方に笑われるかも)関所なるものは、軍事上防備のため飛鳥時代(646年)には制度化されていて、鎌倉時代には関料徴収するための目的へと変わり、安土桃山時代には全国で廃止。
しかし、江戸時代になると徳川幕府は江戸を取り巻く様に関所を復活させて、関所役人が人々の往来に目を光らせた。
 
その厳しい取り締まりを象徴する言葉として『入鉄砲出女』がある。
鉄砲や武器を持った人間の江戸への侵入を阻止し、幕府への反乱を抑止。また江戸から出る女性に目を向けたのは、江戸屋敷に人質として住まわせた妻女たちが江戸脱出を防ぐための安全保障上の戦略だったのです。
が、調べてわかった偶然にしてもスゴイ関所の力!世界中を恐怖に陥れたコレラ(コロリとして浮世絵にもたくさん描かれていますよね)朝鮮半島から対馬経由でオランダ船が長崎にもたらし、西日本で多くの感染者・死者を出したのです。
この時江戸には流行せず実質的に首都機能は守られた。
その原因は箱根の関所があったからだと。
 
次のコレラまん延もまた長崎から。
その頃は250年も続く幕府の政治機能が弱体化し、住民の移動制限が甘くなっていたため、コレラは箱根を越えてしまった。
何だかコロナ禍にある今の日本の状況にそっくりではありませんか?関所を通るのに厳しくチェックされた通行手形。
できれば今の世も安価で即日検査、即日発行の『PCR検査済通行手形』があればどうなんだろう。
 天声人語の結びに政府や自治体に何か言うのではなく、自分の心の中には自分なりの関所がある様な気がするとあった。
あなたの関所、大丈夫?
 
 
 
関所の横に株式会社トータル 長崎支店があります 
(宮本佐代子)
 
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