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トータル通信

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【みやもっちゃんのひとりごとNo.96】

2017-04-03
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
桜のこと
 
 3月末、私用で東京に上った、その時期はいつもの年と違って東京は桜満開宣言が出されたばかり、長崎のつぼみの桜とは違い、町並のあちらこちらでピンク色に抜ける風景を見せてくれ何だか一人得した気分となった。
そんな折、紀行作家の文章に目が止まった。私自身『桜守』と言う人がいらっしゃることは知っていたが、桜守第16代、佐野藤右衛門さん(89才)を紹介する文章と存在には驚かされた。16代続いている!何と天保3年(1832年)より桜守を伝承し続けている家系(歌舞伎役者の伝承と同じ物)の方。
藤右衛門代の言葉をかりると各地の桜を見に行く時は、その土地柄を知ってから行くと、一層面白いと言うのである。祇園枝重桜、根尾の淡黒桜三春滝桜。皆その土地に根付いているから同じ彼岸桜でも山桜でも、あれだけ人を引き寄せる力がある。ソメイヨシノは、どこに行っても同じ花だと言う。どんなに太くなっても幹とは違うんですって。接ぎ木を続けて枝が太くなっているだけで、だから下の方のとんでもない所に花が咲いているらしい。つまりソメイヨシノは自然本来の姿ではないと言う。
一方、驚く事に自然の桜は新月から満月に向けて咲くのだそうだ。彼いわく『女性の月のもんは月齢と一緒。桜もそうで周期がある。新月から上弦の月にかけて花がパア~っと咲き初めて満月になったら満開になりますよ。だから来年の花が咲く時期がわかるのは女だけなんだ』と何とも風流な話ではありませんか?

子供の頃は親に連れられてお弁当持参の花見に出かけ、大人になってからは会社の同僚、仲間達と酒を組み交わし、桜の下で騒いだものだが、こんなにも何十年も桜を楽しんで来てくれたものの桜本来の事は何一つ知らなかったのだと今さらながら日本人として少々赤面の思いがした。最後には彼は桜にも色香がつかなかったらダメ。古い自然木の桜は、わずかに残った枝に花を咲かせます。色気から色香に変わるんです。わずかな花に色香をのせて行く・・・・それが桜

桜を守る人を桜守と言い保険を守る人を 株式会社 トータル 宮本 の保険人と言います。
(宮本佐代子)

【みやもっちゃんのひとりごとNo.95】

2017-03-03
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
子供の未来に    私の住む長与町自宅の上の方に、小さな保育園がある。天気の良い日ともなれば小さなひよ子ちゃん達が黄色い帽子、青い帽子をかぶりピョコン、ピョコン、チョコ、チョコと先頭の親鳥(園の先生)の後を追いかけて行進するかの様な散歩風景をよく目にする。 以前も、このひよ子郡団のおもしろ話を書いた事があるが、たまらなくいとおしい。 しかしながら、その郡団の行く手には大型ダンプが行きかう団地造成の現場がある。今日も1つ、今日も又1つと山が崩されていく場所、緑の木々は伐採され赤茶気た土がむき出しになって行く様はたまらなく辛い。山は、二度と作りだす事は出来ないのに・・・。 私には2~3才の時の記憶として土の臭い、風の臭い、草木の記憶がけっこう残っている。まさにこのひよ子郡団と同じ頃の記憶。 この光景はこの子らにどう写っているのだろう。何を感じているのだろうと気にかかる。裏山に登り、今頃だと白い椿を見つけては大喜びし、花をもいで蜜を吸ってみたり、大好きだった野に咲くピンクの花は小さなラッパを縦に並べた様な10cm程の背丈の草、もうその花も大人になって目にしなくなってしまった(今でも、その花を探す自分がいる)きっと大人の都合で自然を粗末にした結果なのだろう。 団地も必要、道路をきれいにするのも大事だが空家が目立つ今となっては、何事もすぎるのは良くない様な気がする。そんな事を考えている時、2月末に野母崎にある幼稚園にお伺いする用が続いた。仕事を済ませ先生にお願いして子供達が遊ぶ園庭に一緒に出させて頂いた。遊ぶ子供の中に3~4才くらいの元気な男の子が私を見つけると、パッと横を走り抜けジャングルジムにかけ登った。 そして大きく股を開き右手を腰にあて、もう片方の手を額にかざし航海士が遠くを見るかの様な姿で『あ~今日もいいながめ~船も通いよる!』と叫び私をチラッと見て笑った。 きっときっと彼はこの光景がお気に入りでこの眺めの良さを私に教えたかったに違いないのだと感じた。自然のすばらしさは子供の身で感じ”豊かな記憶””幸せな記憶”として残って行くに違いないのに・・・。どうぞこれ以上子供達の為にも自然を崩さないで欲しいと心から願う所です。 元気な子供には傷害保険 ケガが心配ですよね  トータルの宮本までご相談ください。 (宮本佐代子)

【みやもっちゃんのひとりごとNo.94】

2017-02-07
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
死して尚
 
 怖いくらい早いです。もう2月ですよ。子供の頃は感じなかった。時の流れ体の動きは笑うほどとろくなるのに、月日の流れだけは逆行して早い。とそう感じたのも父の3回忌を1月末に済ませた時の事。まだあのホームに行けばいつもの様にオチャメに『ヨッ!』と得意の片手を上げて微笑む父に会えそうなのに・・・。

あゝもう2年も過ぎたんだな~。突然、母を亡くしても、病になっても、そして亡くなる寸前まで泣き言も言わず、グチも言わず周りに気を遣い笑顔でひょうきんであり続けた父の姿は、親として最後でそして最高の死のあり方を教えてくれたと今さらながらそう思う。そんな父は生前2度の脳梗塞を経験し、医師からも脳血管系で人生の終末を迎えるでしょうと伝えられたらしいのですが、当の本人は『イヤ、出来るならガンで死にたい』と言っていたのを思い出した。
まさに自分の思い通りのガンで亡くなったが、それにしても何故ガンで死にたいのか質問した時の答えが『お母さんはポックリ逝きたい(実際、義母はポックリ逝った)と言ってたがそれでは、お世話になった方に有難うも言えないし、自分の伝えたい事も伝えられない。
でも、ガンになったら時間があるからきちんと人生の後始末をして死を迎えられるそうやって死にたい』と答えた。私に伝えたい事は伝え、トラブルなき様、遺言書(公正証書)も残し、それには自分の葬儀のあり方、そして娘達にありがとうのメッセージまで残して・・・。有限実行『きちんとした死』実にすばらしい死で人生を終えてみせた。
それに比べて一人暮らしの長い私は父の様に、父の教えの様に生きられるだろうか?

法事って今を生きる人に対して、ちょっと立ち止まらせ考えさせる為にもあるのかも知れない。
その法事の後、私は何気なく一冊の本を手にした。五木寛之の玄冬の門。
内容は、まあ一人を上手に生きなさい。それには、お一人様人生を意識して日常をすごす事の重要さ等が書かれてあるのだが、私の心にヒット!何だか読み進めるうちに、これは再婚を期待し、私が一人で生きる事を常に心配していた天国の父からのプレゼント本の様に思えてならない。お前は、この本に書いてある様な生き方が似合うかもねって言ってる様で・・・。有難うお父さん

がんなりたくないが準備だけは必要ですね。ご相談はトータル 宮本まで。
(宮本佐代子)

【みやもっちゃんのひとりごとNo.93】

2017-01-04
カテゴリ:みやもっちゃんのひとりごと
希望承りました『あけまして おめでとうございます』
 
皆様の側に寄り添っていたいと思う気持ちからスタートした、みやもっちゃんのひとりごとも、今年は何とか100号を迎えられそうで、これからも皆様があればこそで本当に感謝申し上げます。
さて、酉年どの様なスタートをきられましたか?

 昨年春、博多に暮らす母が頭痛がする、目まいがすると言うので脳外科を受診。結果、脳動脈瘤がある事が判明。出来ている場所、高齢を考え経過観察となった。慌てた私達姉妹は、母の事を何とかしようと話し合いを持ったものの、皆有職者であり離れている事もあって面倒を見るのは厳しい環境。そこで病院併用の老人施設にでも入りゆっくり暮らしては?と提案。すると2~3日後、母より電話が入り『考えたら眠れなかった。私から仕事を取り上げたら、それこそ生きていけない』と半ベソ。以前にも書かせてもらったのだが、母は40年近く小料理屋を営み一人生計を立てて来た女。体の事、店の事、自宅の事等を考え提案した娘達の考えは、まったく相い入れず、そうこうしていると10月には心筋梗塞で緊急のバイパス、ステント術も受けたのに、それでも母の気持ちは変わらないまま・・・。
何やかやと大変だったそんな母を少しでも楽させてあげたいと思い年末から長崎へよび小さな親孝行、上げ膳据え膳の日々を過ごさせてあげた。和食に関してはプロの母に間違っても和食を出したらチェックが厳しいかも・・・。と笑える不安が私の頭をよぎり、終日私が出来る洋食にこだわり食してもらって。ところが、ところがどうだろう~私が出す料理のすべてを手帳を出しては食材レシピをメモ。メモが終わったかと思うと今度はケイタイまで出して写メする。このハーブは?これに変わる食材は何に?どこで手に入れる?と、とにかくしつこい。まるで個人レッスンの料理教室かと笑った。知らない料理に関して貧欲さには頭が下がる。”86才の母恐るべし”こんな母に楽しては・・・と言った。私達娘が本当に愚かだったようで、生涯現役を貫かせ、いや貫いてもらいそれを見届けるのが親孝行かもと話が収まった新年のスタートでありました。

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(宮本佐代子)
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