みやもっちゃんのひとりごと
【みやもっちゃんのひとりごと No.149】
2021-09-02
身の程知らずの結末
前回のオリンピックとは、又別ものの
感動を与えてくれたパラリンピック。
全ての競技において、障害の程度で
ランク分けされているものの、義足の
ランナーやジャンパー、車イスのアスリート
達のその身体能力に驚かされてしまった。
軽々には言えないでしょうが、ここまで
歩んで来たアスリート達の人生こそが
金メダル級なのだと解説者の紹介コメントに
涙すること度々。そんなパラリンピックを
観ながら実は私も戦っていた。
年を重ねるにつれ、ミョ~に頑張り屋に
なる自分。何故そんなに頑張ったのか理由は
ただひとつ!体に現れる受け入れがたい
「老」との戦いが始まったから。
腰痛、血圧も歩く事で解決出来ると知ると
必死に歩いた。そして治った、治した。が…
副産物もついて来た(笑)
毎日歩くのが楽しくてついつい長歩き。その
ウォーキング中に、チョコっと膝をねじって
しまった。まぁ2~3日で治るだろうとタカ
をくくっていた私。歩く事もままならない
程の痛みに襲われ、たまらずA整形外科を受診。
レントゲンを見て、膝をクネクネとさわった
ドクターから返って来た診断は「年!」の
一言。その「年」の言葉をのみ込めず、いや
いやそんなはずはない。長年運動もそれなりに
続けてるし、年令が直接な原因ではないはず
との思いがあった私は、その一週間後、治り
そうもない膝の痛みをこらえて、改めて正確な
病名を知りたいとB整形外科を再受診。そこは
レントゲンだけではなくMRIも撮って下さった。
その画像を見ながらドクターは
「う~ん、骨もどこも悪くないですよ。
半月板変性断裂があるくらいですかね~」
ホラやっぱりやっぱり、断裂してたでしょう!
よかった病院変えてみて!
A病院の診断に対して勝ち誇った気がした。が…
「先生、変性断裂なんでしょう。断裂って何に?」
と聞き返すと、やさしいまなざしで
「加齢によるものです」とソフトな回答。
いつかはやって来る「老」でさえ受け入れられず
右往左往の私。スポーツする以前に生きる事さえ
大変だったろうに、その障害を受け入れ笑顔で
折れない心を見せつけてくれたパラアスリート
達に、恥ずかしくて伏目がちの私でした。
「老」の先の介護。
リーズナブルなねんきん介護新発売
【みやもっちゃんのひとりごと No.148】
2021-08-02
天地人
コロナに振り回されつつも、
TOKYO2020オリンピックはスタートした。
全ての雑音は別として進行中のオリンピック。
どんな事があっても人の心を動かす、感動を与える、
それはまぎれもなく超人に与えられし力だと確信した。
超人だらけの日本柔道は、金メダルを量産出来た
理由として「天地人」があったと報じた所があった。
孟子日「天時不如地利。地利不如人和」
孟子曰く、天の時は地の利に如かず。
地の利は人の和に如かず。
物事を成就させるには、天が幸運をもたらす(天の時)
からではなく、立地的条件が都合が良い(地の利)
からではなく、寧ろ人の心が一致団結(人の和)して
こそである。各々が自らを信じないと相手を信じる
ことは出来ない。自分を信じる力とは、人に左右
されない、人のモノサシに動じない心を作る過程に
おいて、芯が強くなり、強じんな心となる。
又、同じ志を持つ者は、和合し合い尊重する。
これを持ちて率いた井上康生監督。史上最強の
柔道ニッポンを育て世界にもアピールしたのである。
井上監督は今年3月53才で亡くなった古賀稔彦さんの
追悼モデル時計「3・4・6」と日本国旗、そして
古賀さんの名が刻印された物を左うでにまき
「私のヒーローだった」と語った。そのヒーローに
あこがれ、ヒーローの背中を追いかけ続けた人が、
次世代のヒーローを作り出したのだ。
又、体操男子とて同じだ。キング内村航平に
あこがれ、あんな選手になりたいと体操を始めた
若者達は、キングの落下を見ても最高のパフォー
マンスをやり遂げた。ここにも同じく「天地人」
があった気がする。オリンピック初体験の皆が
そんな偉業が出来たのか?やはりそこにも又、
内村の背中があった。北京、ロンドン、リオ五輪で
何度も逆転劇を演じて来たキング内村の不屈の魂が
確実に継承されてるのを我々は目の当たりにしたので
ある。ヒーローがヒーローを作るのだと感動!
人が育つとはこんな事なのだ。
日本のリーダーよ、せっかく開催したオリンピック
だから、若きヒーローから習ってはどうだろうか?
あんしん生命は若者に迷惑かけない
「驚き」の介護保険が発売されます。
【みやもっちゃんのひとりごと No.147】
2021-07-05
八重子ブルーに包まれて
玄関ドアを開けると「お帰りなさい」と言わんばかりに
八重子ブルーの絵が仕事帰りの私を迎えてくれる。
最後の作品を含め、長崎の風景にこだわった絵が、
我家の壁を色どってくれている。
もちろんひとりごとを書き始めの頃、まっ先に彼女の事は
書いたのですが、今頃になって何故か恋しくてならないのです。
亡くなって15年余り経つというのにです。84歳で亡くなった
彼女とは、親子程の年の差があったのですが、それが不思議な程
気が合い、お茶したり、お酒したり、異性の話に盛り上がったり、
時には絵のモデルとなったり、何よりも彼女が大好きだった
南山手には、良く絵を書きに出かけたものでした。
若い頃を東京で過ごし証券会社に勤務。その為でしょう、
マネーコンサルがうまく、長崎に戻ってからは手芸教室を開校。
不動産経営もやり、その合間に絵をも描く(もちろん個展も)、
どれだけパワフルで素敵な人か、彼女の事を知らずとも想像
出来るのではないでしょうか。
今であれば女性雑誌からとび出して来てもおかしくない様な
聡明で凛としておしゃれでカッコイイ女性でした。
お金との向き合い方、人との向き合い方、仕事のやり方等々、
事ある度に導いてくれ、彼女のような人になりたいと、
20代の若き私は強く思ったものでした。
そうした八重子さんの与えてくれた言葉で、私の人生は
作られ支えられた部分がとても多いとつくづく思う。
自分の「老い」と言うものが、体や心に影を落としはじめる今(笑)
それでも尚働き続けられているのは、事が起きた時に、
八重子さんならどう考えるだろうか、どんな解決をするのだろうか、
又私にどんなアドバイスをくれるだろうかと立ち止まり考える
時間を作ってくれる。亡くなっても尚、私の師であり、友である。
入院した部屋が一緒だったという悲しい偶然で出合った人が、
自分の人生をどれだけ心豊かにしてくれたのかと、年を重ねた分
実感させられる今日この頃なのです。
今日も八重子ブルーの絵に包まれた部屋でゆっくりと暮らせて
いる事に感謝しかありません。
あなたのそばにはマリンブルーの
【みやもっちゃんのひとりごと No.146】
2021-06-04
僧侶に学ぶ
コロナ、コロナと年をまたぎ流れるニュースに右往左往していたらもう6月。
もったいない時が流れてしまった感が否めない。こんな環境下において、私達
は目に見えない物で身体はどんどんとダメージを受ける。心身ともにストレス
に支配され、身体の傷みが早まっているのではと不安にもなるが、そんな時こそ
まずは呼吸です。常に呼吸を意識すると良いですよと、こんな事を教えて下さる
のは僧侶の方。僧侶と言えばちょっと古い話ですが『職業と寿命の研究』の中で
長生きする職業ランキングがありトップは宗教者(僧侶)、2位実業家(社長)
3位政治家だったのです。
鎌倉時代の法然上人が80歳、親らん聖人が89歳、一休禅師83歳、天海僧正
104歳と、40歳で高齢者といわれた時代に驚く程ご長寿の僧職者が多かった。
今も尚ご活躍の瀬戸内寂聴さんも今年99歳、ご長寿僧侶でいらっしゃる。
では何故長生きなのか?僧侶の生活、生き方にヒントがありました。
1.呼吸を整える
2.食事の節度
3.心の切り替、感情のコントロール
4.生活を整える。毎日決まったルーティンを繰り返す
5.声を出して経を読む
仏教には『遊戯(ゆげ)』という言葉があるらしいが、何にもとらわれること
なく遊び楽しく自由に生きることを言う。これが長寿と結びついてるというのだ。
では2位の社長の長生きの理由は何なのでしょう?私は日頃多くの経営者の方々
とお話する機会が多いのですが、責任はハンパなく大きいし、それに伴うスト
レスもずいぶんの物。健康にとっては悪影響でしかないと思ってました。
ところが主体的に物事を判断し、自己決定する事が健康にとても良い環境を
与えてるらしいのです。自己決定する事が、健康や人間関係に次いで ❛ 幸福感 ❜
に強い影響を与え、その幸福感が長生きにつながると近年の研究者の研究結果
から結論づけられたそうです。つまりやらされてる感で仕事や家事をやっていては
モチベーションも上がらず幸福感を味わえないのかも…
こんな時だからこそ僧侶や社長の生き方を参考に、100年時代といわれる今、
呼吸法をマスターし、何事にもとらわれない自己決定の出来る生き方が出来れば
元気で長生きが約束される‼かもです。
健康で長生きなら保険は必要ない⁉
保険のお世話にならなかったら戻って来る保険がありますよ
【みやもっちゃんのひとりごと No.145】
2021-04-30
一人ぼっちの木
私の仕事は、PCの前に座っているか、車転がしお客様宅へドア to ドア
全くもって歩き回るとは程遠い仕事なので、人より意識しないと動かない人となってしまう。
これまでも色んなコースを選び歩いて来たが、近年心躍るようなコースに巡り合え、歩くのが
楽しい。県道をちょっと下り、暗渠をくぐればそこは別世界が広がる。弧を描くかの様に、
ぐるりと長与川が流れ、その内側に田んぼが広がり、まん中をJRの2両編成の電車が走り抜ける。
人けはほとんどなく河野せせらぎ、日々の様子を変える田んぼ、あぜ道の草花、サギやかもとも
挨拶出来る距離で歩ける。1日の終わりにコリコリになった硬い脳ミソがグニャグニャ、ビチャ
ビチャと音を立て喜んでる感じがする。
でもこの夢の場所に1ヶ所どうも気になって仕方ない所がある。川のそば田んぼのわきの所に
わずかに盛り上げた塚があり、老いた枝を頑張って頑張って広げてるかの様に榎が立っている。
この木は自然にはえたのではない様な、誰かが植えたのではと勝手に憶測。かなりの古木で幹は
途中から2つに分かれ、まるでさびたハサミの様にも見える。木の根元には、小さな野石の碑が
ひっそり祭られ花や水が供えられている。彼岸花の頃は、思わず写真を撮ってしまう程美しい
景色となる。つい先日、その周りの雑草を刈る方がおられたので声を掛け、この木の事をたずね
てみたが、返って来た言葉にびっくり!
「人柱を祀ってるんです。古い事なので詳しくはわからんね~」
人柱とは築城、架橋、堤防工事など完成を祈って神へ供える生贄とする為、人を土中や水底に
埋める事又はその埋められた人の事、あまりの事、郷土誌を調べてみることにした。
私の歩くコースの上部は「洗切」という地名がついたとの事。大雨の度大きな被害をもたらして
いたので、いつの事か年月かはっきりしないが、とにかく遠い昔の事と記してある。治水工事が
行われたその時に人柱が立てられ、それも「夫婦じゃったろう」と言う話。昔は塚に並んで同じ
かっこうの木があり、その姿をしのばせ"夫婦木”と言うようになったらしいが、片方は前後に枯れ
てしまったらしく、かわいそう、今は一人ぼっちになってしまったその木を私は毎日眺めていたの
です。心がチクンと痛みます。調べると長与川にはあと2ヶ所も人柱がありました。暴れ川だった
この川、しかし私達の生活水の源。その昔地元の人々、生活を守る為捧げた命があった事を知ると
改めてこの川、この水を大切に無駄にしてはいけないと強く思いましたし、できれば夫婦木に
戻してあげれたらとも思いました。
水災の保険もあります。
その前にハザードマップのご確認を